岡山県津山市下高倉西824

真面目、と、生真面目

人間、生きることは大変です。

人生は苦難の連続です。

原始仏教でも、人生は基本的に「苦」である、と捉え、いかにその苦を軽減し、楽しく生きるか?の実践を詳細に解説しています。

毎日、できるだけ楽しく生きるには、基本的に、「真面目」に生きなければなりません。

「楽しいことをする」のではなく、「することを楽しむ」と、人生は苦でなくなり、「いつでも、何でも楽しく頑張る」と、様々な苦難を乗り越えられます。

これが、「真面目」に生きる、ということです。

「真面目」に対して、「生真面目」という言葉があります。

「生真面目」というと、どこか、神経質、冗談が通じない、物事をマイナスに捉える、心配性、ということを連想させる、どこかマイナスなイメージの言葉です。

「心配性」は、かぎりなく病気に近い状態、と私は考えます(原始仏教でもそう捉えます)。

「いま、ここ」に集中し、過去も未来も頭の中から締め出してしまえば、「心配」など起こりません。

心配性の人は、「いま、ここ」に心あらずで、常に先のこと、または、過去のことと今を比べる、ことに終始しているので、精神的にダウナーな状態になりやすいといえます。

精神的にダウナーな状態になれば、心と体は一心同体ですので、体も不調になります。

私は、元来、ちゃらんぽらんな性格要素が強く、若い頃は、そういった性格要素どうりのちゃらんぽらんな人生を歩んでいました。

感情の任せて行動したり、常にふざけた生活態度だったり。

さすがに、30歳を過ぎたあたりから、やっとこさ少しずつ自分はこのままでは駄目だ、もっと自分を律して生きなければ、と思うに至り、特に、このOKを始めてから(つまり、個人事業主となってから)真面目に生きなきゃ駄目だ、と思い、できるだけそのように生きるように心がけるようになりました。

さらには、以前より興味のあった仏教(原始仏教)に触れることで、一本軸の通った生活を送れるようになった気がします。

本来の仏教、釈迦の仏教、原始仏教、は、いわゆる「宗教」というよりは、「能力開発塾」という要素が大きいもので、ただお寺に通って幸福祈願、念仏を唱えれば救われる、的な、「他力」的な要素は一切なく、「すべては自己責任である」「すべて自分に起こること(結果)は、すべて自分の思い、行いに「原因」がある」という、非常に厳しいもので、「より良く生きるためのハウツー」が満載の実践的なところに、私は魅力を感じ、この生きるのが大変な人生を少しでも楽しく生きるための参考とさせていただいております。

それ以前より、敬愛して、人生の参考とさせていただいていた、「アラン」の「幸福論」と非常に共通する部分が多い、と感じています。

アランの思考は、「幸福であることは、人間の義務である。そして、幸福であるために、自分が常にそうあるように努力して勝ち得ねばならない」というような思考で、一切の責任は、自分自身にある、という、これまた厳しいものです。

アランが原始仏教に影響された形跡は見当たらないのですが、妙に共通したところがあり、それもあって、すんなり原始仏教の考え方に入ることができたのです。

自分は、この原始仏教を、とくに「宗教」とは捉えておらず、したがって、何か摩訶不思議な力も信じないし、拝みもしないし、念仏も唱えないし、幸福祈願もしません。

全ては自分次第、という非常に厳しい教えが気に入っています。

「科学するブッダ」という佐々木閑先生の書籍がありますが、原始仏教の教えは、非常に常識的かつ論理的であり、一切の神秘性、摩訶不思議を排しているところが自分にはしっくりくるのです。

そういう点で、「宗教」というより、「能力開発塾」的要素が強く、より良く生きるための参考とさせていただいております。

話がかなり脱線してしまいましたが、先の「生真面目」に話を戻しますと、「真面目」に生きることは大切なことですが、「生真面目」過ぎると、これは、心身のバランスを崩す大きな要素となります。

ちゃらんぽらんではいけませんが、生真面目過ぎてもまたよろしくないのです。

このあたりの絶妙なバランス感覚を失わないように気をつけて、人生を楽しく生きていきたい、というのが唯一の望みです。

津山 整体・鍼灸
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